スピリチュアリズムの思想を端的に理解できるように、基本的な思想をいくつか紹介させていただこうと思います。

もちろん科学では証明のしようのないものですが、理論的には矛盾のないように解説させていただきますので、参考にされてください。

スピリチュアリズムにおいては、神様がどのようなものであるかも説かれてあります。

具体的には、神様は以下のような存在であるとされています。

  • 宇宙のすべてのものは神様がお創りになり、神様の完璧な法則に支配されている。[1](創造神)
  • 神様を表す言葉としては、全知全能、完全無欠、永遠不変、唯一絶対、完全な愛、完全な公正、完璧な法則などがあるが、神様は無限なので、有限の人間には完全に言い表すことなどできない[1]

自然界を見ると、トマトの種をまくと必ずトマトができレタスができることはありませんし、コルクを湖に投げると必ず浮き、石を投げると必ず沈みます。

また、地球が太陽の周りを一周するのにかかる周期はきれいな数式で表すことができます。

このような法則が偶然できたと考える方が難しいと考えられるのではないでしょうか。

やはり物質界の背後には人間の知性をはるかに超えた設計者がいると考える方が自然なのではないかと思います。

世界的に有名な生物学者エドウィン・コンクリン教授は次のような言葉を残しています。

「生命が偶然に生じる確率は、印刷工場が爆発してまったく省略のない一巻の辞書が生じる可能性に比べられる。」

アインシュタインの言葉には、以下のようなものがあります。

科学という営みに真剣に取り組んでいる人ならだれでも、宇宙の法則にはある精神があらわれていると確信しています。人間の精神にはるかにまさる精神です。

こういった言葉を考慮してみると、一流の科学者ほど、物理的な現象の背後に存在する偉大な存在に確信を抱き、畏敬の念を抱くものかもしれません。

1.シルバーバーチは語る 七章

人間は霊的存在であり死後の世界で生き続ける


人間は高々数十年位の短い期間を生きれば無に帰する肉体だけの儚い存在ではないとされています。

そして、霊的身体、すなわち、物理的な手段では感知できない体が人間の本来の姿であるとされていますが、これは、死後の世界の証明の箇所を参照していただければ納得できるのではないかと思います。

以下に、スピリチュアリズムにおいて説かれてある説を紹介します。

  • 人間は霊的存在でありこの世にいる間だけ肉体という乗り物に乗って生活している。[2]
  • 死後の世界の証明のページの臨死体験の箇所で紹介しているように、臨死体験をした人は、「臨死体験中に、自分が肉体から離れ、自分の体や手術の様子を見ており、手術の様子を細部に至るまで詳しく説明できた」ということから考えると、この説は理にかなっていると考えられると思います。もし、人間が肉体だけの存在であれば、臨死体験の現象の説明がつかなくなります。

  • 死と共に肉体を離れあの世で永遠に生き続ける。[2]
  • この思想を信じることで、人生に価値を見出し、生きがいを感じることができるようになると思います。死ねば無になると考えれば、何をしても死んでしまえば意味のないものになってしまいます。

  • この世の行いによってあの世の幸不幸が決まる。正しい行いをした人は人間性が向上し幸せな環境に、間違った行いをした人は人間性が低下し不幸な環境に置かれる。[3]
  • この思想により、正しい行い(人のためになる良い行い)をしなければならないことが分かり、悪い行い(自分中心で人の迷惑をかえりみない行い)をしてはならないことが理解できるようになります。もし、死んで無になるとしたら、正しい行いをしても悪い行いをしても無になるわけですから、「生きているうちに楽しんでおかねばならない。どう生きようと本人の自由だ。」という発想になり、様々な問題、苦しみを生み出すことにつながるのではないかと思います。

  • あの世でも良い行いをすれば向上し幸せになれ、悪い行いをすれば堕落し不幸になる[4]
  • もし、この世のほんのわずかな期間で、死後の幸不幸が永遠に決まってしまうとすれば、不公平で理不尽なことになると思います。この世での行いが悪く、死後に不幸な環境に置かれても、努力次第で幸福を手にする事ができ、逆にこの世での行いが良くとも、あの世で間違ったことをすれば、堕落し、不幸な環境に置かれるとすれば、公平であり、理にかなっていると言えると思います。

  • あの世は神様のように完璧に近い霊のいる極楽のような階層から極悪非道な霊のいる地獄のような階層まで無限につながっている[5]
  • 完全になるというのは理論的に有りえない(向上してもさらに改善の余地が見えてくる)ので無限の階層があるというのは理屈としては正しいと思われます。
    また、階層が無限であるからこそ完全に公平に出来ているといえると思います。もし有限なら、百の良い行いをした人と千の良い行いをした人が同じように扱われるようなことが起こり不公平が生じるのではないでしょうか。
    そして、無限の階層があると理解することで、どんなに成長しても傲慢になることなくいつまでも謙虚な気持ちでいることができるようになるのではないかと思います。

2.地上人類への最高の福音p150
3.地上人類への最高の福音p29
4.シルバーバーチは語るp195
5.シルバーバーチの霊訓(十)p33

完璧な因果律と自己責任

完璧な因果律

因果律というのは、何かが起これば必ずその原因となるものが存在するということですが、スピリチュアリズムではその法則が完璧であると考えられています。[6]

例えば、自分が良いことをすればその分だけ人間性が向上して幸せになり、悪いことをすればその分だけ人間性が低下して不幸になります。[6]

つまり、38のいいことをすれば、38だけ自分が幸せになり、87.35982の悪いことをすれば、87.35982だけ自分が不幸になると言う事になります。

物理的な現象は、きれいな数式で表すことができますが、それを考慮すると、目に見えない部分、科学では検証できない部分の法則も同様のことが言えると考えられるかもしれません。

もちろんこの世だけで考えれば、正しい行いをしている人でも必ずしも報われることのない人もいらっしゃいますし、悪い行いをしても誰にも見つかることもなくのうのうと暮らしている人もいらっしゃいますが、あの世では正しい行いをして報われなかったこと、悪い行いをしても逃れることのできた苦しみが寸分違わず必ず自分に返ってくることになります。[7]

そうであってこそ宇宙は平等に出来ているということができ、それを創った神様は完全無欠、全知全能といえるのではないかと思います。

例えば、自分の楽しみも犠牲にして、苦しんでいる人のために貢献した人と、数え切れないくらい多くの人を不幸のどん底へと突き落とした人が同じように幸せになったとしたら、世の中は公平であるとは言えなくなるのではないでしょうか。[8]

6.シルバーバーチの霊訓(四)p25
7.シルバーバーチの霊訓(一)p58
8.シルバーバーチは語るp357

自己責任

完璧な因果律が存在するとすれば、自ずと自己責任という価値観が出てきます。

つまり、すべての人間が自分の行いに責任があり、その結果生じた出来事の責任を自分自身が引き受けなければならないということです。[9]

自己責任の価値観が正しいと言える根拠をいくつかあげたいと思います。

  • 公平さを保つため
  • もし、宇宙を創った神様が全知全能、完全無欠であると仮定したとしたら、宇宙も完全に公平に出来ていなければならないということになるかと思います。
    もしある人が犯罪を犯し、全く関係の無い他人が罪に問われたら誰も納得する人はいないのではないでしょうか。
    犯罪を犯した人が罪に問われそれ相応の苦しみを味わうことになれば公平といえるのではないかと思います。[10]

  • 善とは何か悪とは何かを知るため
  • 人は他人から愛情を受けて初めて幸福感を感じ、人のためになることは大切なことだと理解できます。
    逆に、他人から苦しい思いをさせられて初めて人にこのようなことはしてはいけないということが理解できます。
    もし、自分が他人にしたことが自分に返ってこないとしたら、人は何が正しくて何が間違っているかを理解できなくなってしまうのではないかと思います。[11]

  • 秩序を保つため
  • 何が正しくて何が間違っているかが分からなくなれば、世の中は大混乱に陥ってしまいます。
    自分のやったことは自分に返ってくるということが完璧ではないにしても直感的に理解している人がいらっしゃるおかげで現在の秩序が保たれているのではないでしょうか。

また、人間は、行いだけでなく、言うこと、思うことにも責任があるとされています。[9]

良い言葉を掛けることで相手を幸せにすることもできますし、悪い言葉を使えば相手を傷つけたり、不快な思いをさせることにもなります。

そして、言葉に発することすらなくとも、自分の心にある思いは相手に伝わるのではないかと思いますし、よこしまな思いを常日頃から抱いていれば、それが性格をゆがめ、人格を低下させることにつながるのではないかと思います。

つまり、思い、言葉、行為のすべてに配慮する必要があるのではないでしょうか。

9.シルバーバーチの霊訓(六)p58
10.シルバーバーチの霊訓(六)p59
11.シルバーバーチの霊訓(六)p196

背後霊


スピリチュアリズムにおいては、全ての人間には、正しい方向、人間性を高める方向へと導いてくださる霊的な存在(背後霊)がついてくださっているとされています。

以下に主要な背後霊をあげます。

守護霊
危機から守ってくださるだけでなく、成長のためであればあえて苦しい体験も与えてくださる。人間一人につき一人の守護霊がつく。[12]
指導霊
自分の得意分野で、人間が才能を発揮できるように手助けしてくださる。人間の成長度に応じて入れ替わる。[13]指導霊の数は決まっていない[14]
補助霊
指導霊を補助する。

守護霊という言葉から、様々な問題や困難から守り、導いてくださる存在だと思われるかもしれませんが、上記のように、その人の人間的な成長に必要であれば、あえて苦しみも与えてくださるとされています。

安楽な生活ばかり送っていると、ちょっとした困難にも耐えられないような軟弱な人間になってしまうものだと思いますが、わが子を甘やかしてばかりいる親が賢明な親であるとは言えないということからもわかるように、困難や苦しみも与えて下さる存在が、本当の意味での思いやり、愛情をあたえてくださる慈悲深い存在と言えるのではないかと思います。

それでは、背後霊に力を貸していただくためにはどのようなことを心掛ければよいのでしょうか。

以下に必要な事項を挙げます。

  • 奉仕の精神と人間性の向上
  • 宇宙には波長の法則(類は友を呼ぶ、似たもの同士が引き寄せられるという法則)があるため、純粋に人の役に立ちたいという気持ちを持って努力をすれば、人間性が向上し、その波長に見合う高い階層の指導霊、補助霊の援助が得られ、才能を大きく伸ばして世の中に貢献できるとされています。[15]

  • 心の修養
  • 波長の法則により、おだやかで明るく、自信に満ちた状態を保つことで背後霊と波長が合い、いいアイデアが浮かぶようになり、逆に、心配や不安の念などを心に宿すことによって波長が下がり、背後霊の援助が受けられなくなるとされています。[16]

  • 瞑想(精神統一)
  • 瞑想により背後霊が働きかけやすくなり絆が強化されるとされています。[17]

背後霊などというものは、もちろん科学では証明することはできませんが、それを信じたからといって何も問題が発生しないことが理解できるかと思います。

結局のところ、世のため人のためになるような正しい行いをするしかないということになるからです。

また、瞑想に関しては、現在では、精神を前向きにしたり、落ち着けたり、健康の増進に役立ったりといった様々な効果が証明されています。

ただし、当然のことながら、神様や背後霊を信じたり、祈ったりしているだけで救われるというものではないと考えられると思います。[18]

もし、人間側が何の努力もせずに救われるとすれば、その人は学びも成長も得られないことになるのではないでしょうか。

そして、人間性が未熟な場合や一人で瞑想をする場合は、低級な霊の影響を受けることがあるため、人間性の向上を第一に考え、瞑想をする場合にはきちんとした知識を得た上で、信頼できる指導者の下で行うべきであるとされています。[19]

このように、背後霊という概念を取り言えれたところで、何の問題も生じないと考えらえれますし、それどころか自分を温かく見守ってくださっていると信じることで、心の安らぎや自信を得たり、信念を持つことにつながるのではないかと思います。

12.霊的新時代の到来p33
13.霊的新時代の到来p22
14.シルバーバーチの霊訓(一)p179
15.シルバーバーチの霊訓(二)p17
16.シルバーバーチの霊訓(四)p172
17.シルバーバーチの霊訓(七)p101
18.シルバーバーチの霊訓(三)p218
19.地上人類への最高の福音p237

再生(輪廻転生)

輪廻転生という言葉を聞いたことはあるかと思いますが、スピリチュアリズムにも輪廻転生、つまり、生まれ変わりという概念が存在します。

ただし、自分自身の魂がそのまま生まれ変わるのではなく、地上生活で意識できない自分自身の大きな意識(類魂)の一部が生まれ変わるとされています。

そして、輪廻転生を通して、様々な経験を積み、類魂を成長させていくことが人生の目的とされています。[20]

類魂を成長させるためには、人の役に立つ正しい行いを心がけ、向上心をもって様々な経験を積まなければならないということになります。

また、輪廻転生を考慮することで、前世のカルマなどが存在することになり、人の生まれ持った性質の違いや不公平さの生じる理由が説明できるようになります。

このように、輪廻転生の概念を取り入れることにも、何の問題にもつながりませんし、人生に意義を見出し、自分自身の人生に責任を持つことにつながるのではないかと思います。

さらに、これに関して確信を深めたい場合は、アメリカの精神科教授であるイアン・スティーヴンソン氏の著書「前世を記憶する子どもたち」を読まれてみてはいかがかと思います。

これには、自分とは全く面識のない故人の記憶を持つ子供たちの調査結果が多数紹介されてあります。

前世や輪廻転生というものは、科学的にも否定できないものであることが理解できるのではないかと思います。

20.シルバーバーチの霊訓(十)p136